
ザラスシュトラ(Zoroaster)
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ザラスシュトラ(アヴェスター語: Zaraθuštra、ペルシア語: زرتشت Zartošt、紀元前7世紀 - 没年不明)は、ゾロアスター教の開祖。古代アーリア人の宗教の神官。その生涯については謎が多い。ザラスシュトラはアフラ神群とマズダー(叡智)を結び付け、アフラ・マズダーとして唯一の崇拝対象とした。 日本語では英語名 "Zoroaster" の転写であるゾロアスターの名で知られるが、これは古代ギリシア語での呼称であるゾーロアストレース(Ζωροάστρης, Zōroastrēs)に由来する。また、フリードリヒ・ニーチェの著作『ツァラトゥストラはこう語った』と、同作に触発されてリヒャルト・シュトラウスが作曲した同名の交響詩の影響で、ドイツ語読みの「ツァラトゥストラ」 (Zarathustra) としても知られる。 経歴 ザラスシュトラはハエーチャスパ族の神官一族スピターマ家に生まれた。15歳で聖紐クスティーを身にまとい、「原イラン多神教」とも呼ばれる宗教の神官階級として教育を受けた。20歳のときに原イラン多神教に反旗を翻し、一族を離れて旅に出た。いたるところで原イラン多神教の神官たちから嫌われ、一箇所に定住することができず、部族から部族を行き巡ったという。 30代ごろにザラスシュトラは2人の妻を得て6人の子供に恵まれたが、原イラン多神教神官たちの妨害を受けて信徒獲得はできず出身部族を離れ、トゥーラーン人を布教対象にした。しかし彼らの王を怒らせ追放されてしまう。その後ライバルのマズダー教神官と対決したり、ダエーワを崇拝する王にアフラ・マズダーを崇拝するよう迫ったが10年余り信徒獲得はならなかった。 40歳の時、従兄マドヨーイモーンハが帰依してザラスシュトラは待望の弟子を得た。ここから彼の布教活動は好転し、続いて「スィースターンの賢者」サエーナーが100人の弟子を引き連れてザラスシュトラの教団に加わった。