
ウェルギリウス(Virgil)
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この人は?
プーブリウス・ウェルギリウス・マロー(ラテン語: Publius Vergilius Maro、紀元前70年10月15日 - 紀元前19年9月21日)は、ラテン文学の黄金期を現出させたラテン語詩人の一人である。共和政ローマ末の内乱の時代からオクタウィアヌス(アウグストゥス)の台頭に伴う帝政の確立期にその生涯を過ごした(#生涯)。『牧歌』、『農耕詩』、『アエネーイス』の三作品によって知られる(#作品)。ヨーロッパ文学史上、ラテン文学において最も重視される人物である(#受容)。ヴェルギリウスと表記されることもある。 生涯 出自 彼の前のウェルギリウス氏族では、紀元前87年にルキウス・コルネリウス・スッラを訴追した護民官マルクス・ウェルギリウスや、クィントゥス・トゥッリウス・キケロと共にアエディリス・プレビス(平民按察官)、プラエトル(法務官)を務めるなどした、ガイウス・ウェルギリウス・バルブスの名が知られている。 言語学者の泉井久之助は、Vergiliusという名について、「一見ラテン語の形であるとはいえ、語の本体は…いわゆる大陸ケルトの合成名詞であった」とし、「verg-」は「効果的に作業する」、「-liu-」は 「滑らかで光沢がある」が原義であり、併せてVergiliusの名の原義は「能力によって光輝あるもの」のことであると述べている。 紀元前70年10月15日、マントゥア近郊のアンデスという村で生まれる。紀元前70年は、グナエウス・ポンペイウスとマルクス・リキニウス・クラッススが一触即発の状態から、スッラとガイウス・マリウスの争乱を思い出した民衆の嘆願で和解し、二人とも初めてのコンスル(執政官)を勝ち取った年で、紀元前86年に行われた同盟市戦争後初のケンスス(国勢調査)では約46万だった登録市民数が、この年のケンススでは91万にまで増えている。父は陶工とも、役人に雇われていたとも言われ、主人のマギウスに見込まれて娘マギアを娶り、養蜂で資産を貯めて3人の子に恵まれたが、生き残ったのは末っ子のプブリウスだけだった。 アンデス村のあった場所は、現代イタリアのロンバルディア州マントヴァ近くにあるコムーネ、ヴィルジーリオの中心部から少し離れたところに比定されている。なお、このコムーネの名称「ヴィルジーリオ」はウェルギリウスの生誕地という誉れを示すものである。