
ジャン・カルヴァン(John Calvin)
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ジャン・カルヴァン(フランス語: Jean Calvin [ʒɑ̃ kalvɛ̃]、1509年7月10日 - 1564年5月27日)は、フランス出身の神学者。マルティン・ルターやフルドリッヒ・ツヴィングリと並び称される、キリスト教宗教改革初期の指導者である。また、神学校として1559年に創設されたジュネーヴ大学の創立者でもある。 カルヴァンの神学は、ルター派など一部を除き教派の違いを超えてプロテスタント諸派に大きな影響を与えた。そこにおいて強調されるのは、神の絶対性、聖書の権威、神意による人生の予定、長老による教会政治、信者の訓練などである。プロテスタント教会のひとつである改革派教会は、彼の思想的流れを汲む教会となっている。 生涯 1509年フランス北部ピカルディ地方のノワイヨンで法律家の子として生まれる。1523年14歳でパリ大学に留学し、哲学、神学を学び、その後法学を学んでブルージュ大学を卒業。人文主義的な教養を身に付けた。ルキウス・アンナエウス・セネカの『寛容書簡(寛容について)』を翻訳し、1532年にパリで刊行。1533年ごろ、突然の回心を経験したという。 1534年、パリで檄文事件が起こるとプロテスタントへの弾圧が激しくなり、バーゼルに亡命した。 キリスト教綱要の出版 1536年3月、26歳の時にバーゼルで『キリスト教綱要』(初版本、ラテン語)を刊行。この本は広く読まれ、その名を世に知られた。カルヴァンは名高い論争家で、論敵との議論の必要性から『キリスト教綱要』も5度にわたって改訂・増補され、1559年出版の最終版は初版本(1巻本)の数倍もの分量になった。1541年にはフランス語版が刊行された。 同年、旅行中に偶々滞在したスイスのジュネーヴ市で、牧師のギヨーム・ファレルに要請されて同市の宗教改革に協力する。1538年、教会勢力の拡大を恐れた市当局によってファレルらと共に追放の憂き目を見るが、約半年間バーゼルに滞在したのち、ストラスブール(シュトラースブルク)に3年間滞在した。 神権政治 そして1541年には、市民の懇請によってジュネーヴに戻る。以後30年近くにわたって、神権政治(または神政政治、セオクラシー)を行って同市の教会改革を強力に指導した。ジュネーヴにおいてカルヴァンは厳格な統治を行い、市民の日常生活にも厳しい規律・戒規を求めた。