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ブレーズ・パスカル

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)

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ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、デカルト主義者、発明家、実業家である。 人物 パスカルは神童として数多くのエピソードを残した早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし短命であり、39歳で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿(護教論)を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。 「人間は考える葦である」などの多数の名文句やパスカルの賭けなどの多数の有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。その他、パスカルの三角形、パスカルの原理、パスカルの定理などの発見で知られる。ポール・ロワイヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。 かつてフランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた。 生涯 パスカルは1623年6月19日、フランス中部のクレルモンで生まれた。父は法服貴族で税務管理官のエティエンヌ・パスカル(Étienne Pascal 1588年生 - 1651年没)で、母はアントワネット・べゴン(Antoinette Bégon 1596年生 - 1626年没)であった。姉と妹がおり、姉はジルベルト・パスカル( Gilberte Pascal )であり結婚後はジルベルト・ペリエ ( Gilberte Périer )と名乗った。妹はジャクリーヌ・パスカルであった。ジャクリーヌとは非常に仲が良く、この世で一番愛していたともいわれる。母のアントワネットはパスカルが3歳のときに亡くなっている。ジャクリーヌ出産の歳に体を痛めたのが原因と言われている。 数学、自然哲学への才能の早熟 パスカルは父より家庭で英才教育を受けた。当時の子供は8歳になるとラテン語を学ぶのが一般的であったが、エチエンヌ教育方針は、まず推理力と判断力を養うことに重視していた。父親は品行方正な知識人で数学や自然科学にも造詣が深かったし。歴史、地理、哲学等の知識も豊富であった。このため、パスカルの問いに対して正しい知識を与えることができた。 1631年エチエンヌは片親を失った3人の子どもを不憫に思うとともに、子どもたちが3人とも俊敏であったので、子どもたちの教育のために一家はパリに移住することになった。 当時の上流階級社会では数学は必須の教養であり、趣味として積極的に嗜まれていた。しかし父のエチエンヌはパスカルが数学に没頭してしまうことを恐れた。数学にしても哲学にしても主要な著作はラテン語で記述されていたうえ、議論もラテン語で行われていたので本格的な学問を進める前にラテン語を習得させる優先する必要があると考え、あえて数学を遠ざけていた。

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