
伍代夏子
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この人は?
伍代 夏子(ごだい なつこ、1961年〈昭和36年〉12月18日 - )は、東京都出身の演歌歌手、社会公益活動家、警察庁特別防犯支援官。夫は歌手で俳優の杉良太郎。 来歴 子供時代 東京都渋谷区代々木生まれ。代々木八幡にあった井ノ頭通り水道道路商店街の魚屋「市六水産」の次女。両親と4つ上の姉の4人家族で育つ。物心ついた頃から歌が大好きで、小学生になると歌詞と譜面が載った「歌本」を見ながら歌っていた。 実家は30坪の一軒家で、日当たりが悪いため洗濯物が乾きにくく、冬場は風呂の脱衣所が寒かった。そのため「両親に素敵な家を建ててあげたい」という目標をもち、将来は演歌歌手一択と決めていた。 渋谷区立富谷小学校、渋谷区立上原中学校卒業。鷗友学園女子高等学校在学中、渋谷でモデル事務所にスカウトされた。歌手デビューのきっかけが欲しい一心で、街頭で名刺を配っていたスカウトマンの前を30回ほど行ったり来たりしたという。事務所の紹介でボイストレーニングを受けていたところ、センチュリーレコードのディレクターの目に留まり、同社でレッスンを受けることになった。 下積み時代 1982年、「星ひろみ」として歌手デビュー。しかし当時の仕事はほぼスナックまわりの営業で、酔った客のセクハラに悩まされた。次第に人前で歌うことが苦痛になり、一時はストレスで円形脱毛症になった。デビューから4ヶ月後に突然事務所が倒産し、この生活から抜け出す。 ディレクターの計らいでレコード会社でOLとして働かせてもらい、経理の手伝いや出前の注文まで様々な仕事を担当。裏方の仕事を経験したことで、一人の歌い手が多くの人に支えられていることを実感した。同時に、一流歌手の人たちがどれだけ努力を重ねているのかを知ることができたという。 2年後、元プロ野球選手・平松政次のデュエット相手を探しているとの話が舞い込む。1985年に「加川有希」の名で歌手復帰し、平松とのデュエット「夜明けまでヨコハマ」で2度目のデビュー。平松は野球解説の仕事で忙しく、伍代が一人でキャンペーンに行き、平松の声入りのテープに合わせて歌っていた。 翌1986年、本名の「中川輝美」名義で新曲をリリース。この頃から衣装が着物になり本格的な演歌を歌うようになった。それまでは「24歳でまだ若いのに演歌なんて」と希望を却下されていた。星ひろみ時代から鳴かず飛ばずであったが、先述の夢を叶えるまでは「絶対に歌手として売れるしかない」という想いで歌い続けた。 「伍代夏子」誕生 1987年9月21日、レコード会社を移籍し3度目の改名をしてデビュー。芸名は五木ひろしと八代亜紀にあやかり、字画を考えて「五」に「亻」を付けた。現在では一般に使用される「美人演歌歌手」という言葉は、当時の伍代のキャッチフレーズである。