
レフ・ヤシン(Lev Yashin)
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この人は?
レフ・イワノヴィッチ・ヤシン(ロシア語: Лев Иванович Яшин, 1929年10月22日 - 1990年3月20日)は、ソビエト連邦モスクワ出身のサッカー選手。元ソ連代表。ポジションはゴールキーパー。 人物 史上最高のゴールキーパーと評されている。1963年、2025年現在までにGKで唯一となるバロンドールを受賞している。1998年にはFIFAの20世紀ワールドチームのGKに選ばれた。2020年にはバロンドール・ドリームチームのGKに選ばれた。FIFAワールドカップの大会最優秀GKに与えられる賞には、1994年大会から2006年大会まで「ヤシン賞」と名付けられている。 クラブでは、デビューから引退まで20年以上をディナモ・モスクワ一筋で過ごし326試合出場、リーグ優勝5回、カップ優勝3回を経験した。ソ連代表としては通算78試合に出場し、夏季オリンピック優勝1回、欧州選手権優勝1回。FIFAワールドカップでは合計13試合に出場した。 経歴 生い立ち ヤシンは、モスクワ東区の錠前屋の家庭に生まれた。ヤシン家は叔母アンナ・ミトロザノヴナの一家と同居しており、1つの大きな家族として暮らした。春夏秋は家の中庭で友人たちと暗くなるまでサッカーに熱中し、冬は庭でスケートをする日々を過ごした。 6歳で母アンナが結核のため亡くなる。11歳の時には第二次世界大戦の影響でモスクワ近郊の村にある軍用機の部品工場で父イヴァンと共に働き、同年秋にはモスクワから遠く離れたウリヤノフスクに疎開し列車の貨物を降ろす仕事にも従事した。16歳の時には貧しい食生活の影響で胃潰瘍を患い黒海沿岸にある療養施設へ入るなど、苦労の多い少年時代を過ごした。1937年、父親が再婚し、1939年には双子の弟が誕生している。 ヤシンは少年時代から身体が大きく、友人たちから「エッフェル塔」と呼ばれた。父親の勧めもあり、アイスホッケー、サッカー、バレーボール、体操、水泳、陸上競技など様々なスポーツを経験した。なかでもアイスホッケーのGKとしての資質は群を抜いたものだったという。 1944年、戦争による中断期間が解け、モスクワでサッカーの試合が再開されるとヤシンも工場のチームの入団テストを受ける。当初はストライカーになることを切望していたが、身長が高く跳躍力があったことから、チームのボスはヤシンにゴールキーパーのポジションを割り当てた。 1947年、兵役でモスクワに配属されると、軍のスポーツ部であるディナモ・スポーツ・ソサエティに入団、市議会が主催するチャンピオン・シップでデビューした。