
エウゼビオ(Eusébio)
日別に見る
この人は?
エウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラ(ポルトガル語: Eusébio da Silva Ferreira、1942年1月25日 - 2014年1月5日)は、ポルトガル領東アフリカ(現:モザンビーク)のロウレンソ・マルケス(現:マプト)出身のサッカー選手。ポジションはFW。1965年度、バロンドール受賞。 現役当時、日本のマスコミ等では「オイセビオ」と表記されていた。これは当時の日本代表コーチのデットマール・クラマーがスペルの「Eusébio」をドイツ語読みで「オイセビオ」と読んだのが由来とされる。SLベンフィカはエウゼビオの功績を称え、毎年夏にエウゼビオ・カップという親善大会を開催している。 人物 黒豹(The Black Panther)または黒い真珠(The Black Pearl)の愛称で呼ばれた1960年代から1970年代を代表するフォワード。同時代にプレーしたペレとも並び称された選手で、現役通算727試合に出場し715得点を記録した。ポルトガル代表通算64試合41得点。2005年にペドロ・パウレタに抜かれるまで代表最多得点記録だった。また、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)には20世紀で最も偉大な選手の9位に選ばれるなど、最も偉大なサッカー選手の1人とみなされている。 陸上のスプリントでも通用すると言われるほどの爆発的な加速力を誇り、屈強で柔軟な身体から放たれる強烈なシュートでゴールを量産した。シュートの際、軸足をボールの前に大きく踏み出すエウゼビオのシュートフォームは釜本邦茂に強い影響を与えた。 人格的にも非常に優れた人物で、試合終了後には相手選手を称える事を忘れず、他の選手からも愛された選手であった。 経歴 1942年、ポルトガル領東アフリカ (現:モザンビーク) で生まれ、1957-60年までロウレンソ・マルケス(現:マプト)にあるスポルティング・ロウレンソ・マルケスに所属。1960年、ジョゼ・カルロス・バウエルに見出され、SLベンフィカのスカウトによってにポルトガルへ連れて来られ、直後に契約。ベンフィカでのデビュー戦はペレ擁するサントスFCとの試合だったが、いきなりハットトリックを達成した。 ベンフィカ在籍中の15シーズンでリーグ優勝10回、カップ優勝5回、得点王7回(1963-64、64-65、65-66、66-67、67-68、69-70、72-73)、ゴールデンブーツを1969-70(42得点)、72-73(40得点)の2度獲得、UEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグは除く)での48得点は、アルフレッド・ディ・ステファノに次いで2番目の得点数となっている。1965年にはバロンドールも受賞した。